2007年6月21日

First step to Russia


我々の乗ったルーシー号は国際フェリーというよりも中古車運搬船、乗客数は7,80人ってところなのに、積める所ならばどこでもってな感じで、水を抜いたプールの中にまでもぎっしり車がひしめいている。なんと1年間に日本からロシアに輸入される中古車の数は約30万台もあるそうだ。そう、右側通行のウラジオストック市内を走っている自動車の95%が右ハンドルの日本車だ。しかもパトカーまでもが。ただバスだけは乗降口が反対のせいか韓国製がほどんど。ルーシー号が出向してからというものする事といったら食事だけ、37時間も退屈な時を過ごさねばならなかったが、出向してからの船内は完全にロシア、衛星テレビの放送はシャラポアまでもがロシア語でコマーシャルに出ているくらいですべてがロシア語でまったくわからない。ただしレストランで出されるロシア料理はとても美味かった。ロシア人以外の外国人はロシア人扱いされている変なイスラエル人に26歳のスイス人学生Kasperと我々二人だけ。まあ船内ではスタッフの美女達が色気を振りまいてくれていたからよしとしよう。そうこうしているうちに2回目の朝が来てルーシー号は入り江の中に向かってどんどん進んで行き、しばらくしたら船のフリッジからウラジオストックらしき町が見えるようになってきた。

ルーシー号は2時間早く到着、出ないと思っていた朝食のアナウンスがあったので、レストランで得した気分で食事をしKasperにまた会おうといってから船室に戻って下船の準備。定刻のロシア時間午前9時いよいよ下船、日本に一番近いヨーロッパの大地を踏みしめる。ここでウラジオストックから5,000kmのノボシビルスク近くの自宅まで車の通関が済みしだい5日間で走るというチャリンコを引いたVitaliiという愉快な若いやつが声を掛けてきたので、しばらく話して再会を約束する。
通関は荷物をたくさん抱えた親切なロシア人達が先に行けといってくれたのでスムーズに終了。だが、車の通関が済むのは3日後、走り出しは4日後かも知れないのであらかじめ予約してあった港近くのホテルに直行しチェックイン。ここで車の通関を手伝ってくれる事になっていた、年の頃は50歳ぐらいの人柄の良さそうなコンスタンチン氏と落ち合い、即彼の日産エクストレイルで通関業者の事務所まであいさつに行き、再びホテルに送ってもらったあと今後の約束をして分かれた。
そのころには腹が減ってきたので、ホテルのそばのマーケットでパンと飲み物を買ってきて昼食を済ませウラジオストックの町に繰り出した。物価は高くはないがそう安いわけでもない。
ロシアの第一印象はこれまで抱いていたイメージとだいぶ違い走り回る日本車を除けば正にヨーロッパそのもの、行きかう人々もごく自然で、目つきの鋭そうな人など見かけないし、にぎやかな町並みからは社会主義の気配すら感じない。男女共ファッションは先進国並で夏に入ったせいもあるが露出度も高い。何といってもモデルのような美女がたくさん闊歩しているを見ているだけで来た甲斐があると思ってしまうくらいだ。ただし、道路はボロボロ、裏通りはどちらかと言えば汚い。これほど美人の多い町にしてはまだまだ共産圏って感は拭い去れずに残っている。・・・・ここはまだ極東、西へ行けばもっと違うんだろう。そう言えばモスクワ近郊に住んでいるというルーシー号のスタッフの女性がサンクトペテルブルグはとても美しいところですと言っていた。楽しみではあるが、今後我々も訪れる予定ではいるが物価も西ヨーロッパ並と聞いているから貧乏旅行者としてちょっと心配。
この時期は朝7時頃から夜10時頃まで明るく賑やかさも夕方になってからが本番。我々も夕食を兼ねて出かけてみると連休のせいかどうかサッカースタジアムやフィッシュマーケットの近辺は特に人出が多く巨大テントを張った店がたくさんあり、何処も飲めや食えやの大賑わい。そこで、なんとボイルしたタラバガニを発見、食べない手は無い。しかも日本円に直してもキロあたり1500円。他にビールとシャワルマなるものを注文しタラ腹食べた。
こちらに着いてから感じた事だが無口で冷たいと思っていたロシア人もエッと思えるくらい親切だし、よく笑うし何処がロシア?て感じ。またウォッカばかり飲んでいるアル中人種かとかと思いきや、ほとんどの人がビールを飲んでいた。最近ウォッカはあまり飲まれなくなったというから安心した。
でも杉ちゃんみたいに勉強家でない私にはロシア語が読めない。看板に何が書いてあるのか、どう発音したらいいのか全くわからない。それでも、スパシーバ(ありがとう)が言えるようになったからいいだろう。

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